2019-04-24 第198回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
そして二千円札でありますが、現在発行されているお札の中で、唯一、肖像ではなくて首里城の守礼門が印刷されている二千円札につきましても、観光客の方々等に沖縄の歴史や文化に関心を持っていただくきっかけになるものというふうに考えておりまして、このPRもしていかなければいけないというふうに考えております。
そして二千円札でありますが、現在発行されているお札の中で、唯一、肖像ではなくて首里城の守礼門が印刷されている二千円札につきましても、観光客の方々等に沖縄の歴史や文化に関心を持っていただくきっかけになるものというふうに考えておりまして、このPRもしていかなければいけないというふうに考えております。
何か、聞いたところでは、沖縄では、二千円札、結構流通されていて、ATMとかでも普通に出てくるという話なので、なるほど、沖縄の方にとっては、表、守礼門等を含めて、非常に関心のある紙幣なんだと思いますけれども。
この紙幣には、沖縄県首里城の守礼門が図柄に採用されておりますし、沖縄の振興と平和の発信、シンボルとして役立つものと期待していたわけでありますが、普及、利用が伸び悩んでおります。これは、あくまでも記念紙幣ではなく一般札ですから、広く流通させなければならないわけであります。沖縄におきましては、二千円札流通促進委員会を中心に、二千円札の普及促進に活動したところでございます。
第二次世界大戦前に国宝保存法で指定されてございました沖縄の文化財につきましては、まず建造物については、首里城守礼門あるいは沖縄神社拝殿など十一件でございます。また、美術工芸品につきましては銅鐘の一件がございました。
変だなと思って、何だと言ったら、これは守礼門なんです、沖縄の守礼門。つまり、沖縄の軍が行っているんですよ。全部が沖縄じゃなくて、ほかはあるかというと、余計な話になりますが、守礼門のマークをつけたら、これがはやりまして、お守りになるというので、みんなはやっている。まあ余計な話になりますが、守礼門のマークをつけたのがイラクへ行っているんだ。これは日本と関係ないわけがないんですね。
そのときまでに、先生おっしゃるような、沖縄の県民の皆さんに喜んでいただけるものを、政府として責任を持って考えていかなきゃいけないと考えておりますが、今この時点で具体的にこういうことということを申し上げることができないのが非常に残念でありますが、ただ、七月に沖縄の守礼門をあれした二千円札を出しますよというようなことでは済まない問題だ、そういうふうに心得ておりますので、頑張っていこうと思っております。
このほか、今年から発行される二千円札の図柄に選定された首里城公園内の守礼門を視察したほか、名護市においてサミット開催会場に予定されております万国津梁館及びプレスセンターの建設状況を視察しました。 以上、概略を申し述べましたが、今回の派遣におきまして調査に御協力いただきました関係行政機関、団体及び事業所の方々に対しこの席をかりまして厚く御礼を申し上げ、派遣報告を終わります。
守礼門というのは、四百年前、何度も言うようですが、明の使節がいわゆる琉球国王のところに赴くときに、首里城からまさに琉球国王が出て、守礼の門で中国、明国に忠誠を尽くすという、土下座したかどうかは知りませんが、少なくも服従の意を表した、まさにその門なんですよね。
そこで、お尋ねとして、図柄として沖縄の代表的な建築物である守礼門を用いることにいたしたわけでございまして、二〇〇〇年にはこの守礼門でどうかということにつきましては、私、大蔵大臣と御相談の上に決定をさせていただいたわけでございます。 この守礼門は、言うまでもなく、沖縄を象徴するものとして国民の頭の中に最も自然に浮かんでくるのではないかと。
それともう一点は、デザイン決定について私はちょっと疑義がございまして、なぜ紫式部、そして沖縄の守礼門がデザインとして選ばれたかという、そのデザイン決定の経緯といいますか、そこら辺をちょっと、大変瑣末なことを大臣に恐縮でございますが、お答えをいただければと思います。
○古賀(一)委員 私は、今の大臣の御答弁でおわかりいただけたかと思うのですが、いわゆるこの守礼門というのは、室町時代、明の冊封使というお使いが、国王がかわるために赴きまして、そのときに琉球国の国王が城外に出てその守礼門というところでひざまずいて、明に、おまえを国王として認めるよという儀式をやる場所であったのですね。だから、それはそれで、今文化財として評価できる云々の話がありました。
その趣旨とされたところは、沖縄でミレニアムの年にサミットが開かれる、それを記念したらどうだろうか、そしてそのときに、総理としては、それと一緒に守礼門のデザインを入れたらどうだろうかということをお考えでありました。 それで、紙幣発行者の側から申しますと、日本銀行の銀行券が発行されました最も最近の例は、一万円札でございますが、それは昭和三十三年でございますので、随分昔でございます。
○宮澤国務大臣 この投書に言っておられることは、この守礼門というものが、歴史の上から、琉球と中国との関係において決して琉球にとって名誉なものではなかった、簡単に申しますとこういう趣旨のこのお方の御意見であります。 それは私どもよく知っております。
御存じのとおり、あの周辺、師範学校から円覚寺、守礼門、あの付近は特にそうでありましたが、大きな人でも三、四人でなければ抱えられないぐらいの大きなアカギが本当にうっそうと茂っておりました。あの通りというのは夏も冬も薄暗い、そして常に小さな流れが道を横切るほどに水がずっとしたたっていた、そういうところでした。龍樋もこんこんと年じゅう流れておりました。
御存じのとおり、そこは首里城の守礼門のすぐそばで、沖縄では観光地として多くの観光団の方々が常時記念撮影なんかもやっていらっしゃるわけですね。すぐそのそばの琉大跡地がそういう状況では非常に問題だと思うのですよ。いかがですか。あれでいいのですか。
これから二十一世紀に向かって、首里城の復元という問題が文化的にも歴史的にも、あるいは教育の立場からも、あるいはまた、沖縄県というのは観光というのがこれから非常に大事ですから、そういう意味で、御存じのとおり今観光団がわあっとバスで五台、六台と来て、守礼門がありますね、守礼門で記念撮影して、本体は何もない、ちょっとあるのですが、やはり正殿というものができ上がって初めて首里城というのはこういうものだったのか
それから守礼門につきましても昭和十年、十一年に解体修理を行った、そういう経緯がございます。 御指摘のように、昭和二十年の戦災によりまして、当時首里城に陸軍司令部があったという関係もございまして、ほとんど破壊焼失されたという状況にあったわけでございます。その後この復元の問題につきましては、昭和三十三年でございますか、沖縄の地元の御熱意によりまして守礼門が復元されたわけでございます。
昔国宝が首里城周辺に五つございまして、守礼門というのはこれは琉球政府時代に復元いたしました。それから歡会門、これは国宝でありました。これは正門です、大手門です。これは開発庁のおかげで完全に復元いたしました。今日いま久慶門というのをやっている、久慶門は国宝じゃなかったのですけれども。それから白銀門というのは昔の国宝だった。それから首里城の正殿、つまり本丸ですね、これは国宝だったんですよ。
客だますような広告しちゃだめだと、それから投機ブームにつけ込んで子供まで巻き込んじゃうようなそういうものを扱う、まあ切手はまだそこまでいっていませんが、守礼門の切手に関しちゃかなりの問題が出ているわけですよ、沖繩の守礼門。だから子供まで対象にする、デパートは一応十八歳未満からは買い入れませんよ。十八歳未満からは買い入れません。だって、こっちで十八歳未満に売っているんだからね、同じことなんです。